プロローグ:こむぎちゃん、冗談が通じない
朝の事務所。こむぎちゃんが浮かない顔をしていた。
でも友達は「あげるって言ったじゃん」の一点張りで…。
冗談って言ったのに通じないんです
冗談のつもりでも、言葉にしてしまったら相手は本気にするもんや
冗談で言ったことが約束になるなんて、そんなのおかしくないですか!?
そんなやり取りをしていると、事務所のドアが開いた。
恰幅のいい男性が手に紙袋を持って入ってきた。
画地宗一郎(65歳)。地元では名の知れた資産家で、先祖代々の土地を複数保有し、賃貸アパートやマンションも経営している地主だ。登記田探偵とは長い付き合いで、不動産がらみの困りごとがあるたびに相談に来る顔なじみである。
今日はどうされたんですか?
お饅頭のお土産だよ
いつもすみません!
画地はソファに座ると、少し困った顔をした。陽気なこの人にしては珍しい。
ちょっと困ったことになっちゃってねえ
杉山くんが「あの土地いいよなあ」って言うから、わたしもつい気が大きくなって「ほしいなら1,000万でいいよ」って言っちゃったんだ
本気だったんだよ。
わたしは完全に冗談のつもりだったのに…
画地が頭をかいた。
冗談でも有効なのかい?
心配になって来たんだよ
こむぎちゃんがハッとした。
それって今朝の私と同じ状況じゃないですか!
冗談で言ったのに相手が本気にしたっていう…
こむぎちゃんの推しグッズと宗一郎さんの土地、規模は全然ちゃうけど構造は同じや
冗談なんだから無効に決まってますよね!
こむぎちゃん、そう単純な話やないんや
こむぎちゃん、ここから新しい章に入るで。
権利関係、つまり民法の世界や
宅建業法とは違うんですか?
民法は「人と人の約束ごとのルール」や。
業者だけやなくて、個人間の契約やトラブルも対象になる。
宗一郎さんの今回の話は、まさに個人と個人の約束ごとの問題なんや
推理① 契約はどうやって成立する?|口約束でも書面がなくても成立する「諾成契約」の原則
登記田がホワイトボードに大きく書いた。
契約 = 申込み + 承諾(意思表示の合致)
この2つの意思表示が合致した時点で、契約は成立するんや
民法では原則として、契約は当事者の意思の合致だけで成立する。
書面も物の引渡しも成立要件ではありません。
これを諾成契約の原則と呼びます
口約束でも成立する。
これは契約自由の原則の一つやな
登記田が契約自由の原則を整理した。
契約自由の原則には4つの内容がある。
① 締結の自由 ── 契約するかしないかは自由
② 相手方選択の自由 ── 誰と契約するかは自由
③ 内容の自由 ── どんな内容の契約を結ぶかは自由
④ 方式の自由 ── 口頭でも書面でも、どんな形式でも契約は成立する
公序良俗に反する契約は無効(民法90条)やし、法律の強行規定に反する契約も無効になる。
自由には限界があるんや
つまり、わたしと杉山くんの酒の席でのやりとりも、口約束でも契約として成立しうるということかい
問題は「その口約束が法的に有効なのかどうか」。
これを判断するには、意思表示という概念を理解する必要があります
該当する例: 売主が「この土地を1,000万円で売ります」と申込み、買主が「買います」と承諾 → 書面がなくても口頭で契約成立
該当しない例: 売主が「売りたいなあ」と独り言 → 相手方への申込みではないため契約は成立しない
推理② 意思表示とは何か|契約トラブルの原因はすべてここにある
ここで「意思表示」とは何かを押さえておく必要がある
もう少し正確に言うと、意思表示には3つのステップがある
ステップ1:効果意思 ── 「この土地を1,000万円で売りたい」という、法律上の効果を生じさせたいという内心の意思
ステップ2:表示意思 ── その意思を相手に伝えようという意思
ステップ3:表示行為 ── 実際に「1,000万で売るよ」と言葉や書面で伝える行為
宗一郎さんは杉山さんに「1,000万でいいよ」と言った。
これが表示行為です。
でも内心では売るつもりがなかった。
つまり効果意思がない。
内心の意思と表示行為がズレてますんや
内心と表示がズレているとどうなるんだい?
民法では、意思表示に問題があるケースをいくつか定めとる。
冗談だけやなくて、二人で示し合わせてウソの契約をするケースや、騙されて契約させられるケース、勘違いで契約してしまうケースなんかもあります。
それぞれルールが違いますんや
で、それぞれ「無効」になるのか「取消し」になるのか、第三者との関係がどうなるかがポイントになる。
まずは宗一郎さんのケースから解決していきましょか
ここで、民法で頻出する重要用語を先に定義しておく。この先ずっと使う言葉なので、ここでしっかり覚えておきたい。
| 用語 | 意味 | 日常用語との違い |
|---|---|---|
| 善意 | ある事実を知らないこと | 「良い人」という意味ではない |
| 悪意 | ある事実を知っていること | 「悪い人」という意味ではない |
| 善意有過失 | 知らなかったが、注意すれば知ることができた | |
| 善意無過失 | 知らなかったし、注意しても知ることができなかった |
善意=知らない、悪意=知っている。
この定義は権利関係を通じてずっと使うから、ここで完璧に覚えておくんやで
悪い人のことじゃないんだ…
試験でも「善意の第三者」「悪意の相手方」いう表現がバンバン出てくる。
ここの意味を間違えたら全部崩れるからな
該当する例: 「善意の第三者」= ある事情(例:冗談だったこと)を知らない第三者
該当しない例: 「善意の第三者」= 良い人、親切な第三者 → この解釈は誤り
推理③ 心裡留保(しんりりゅうほ)|冗談で「売る」と言ったら本当に売ったことになる?
宗一郎さんのケースは法律用語で心裡留保(しんりりゅうほ)と呼ぶ
難しい名前だねえ
わかりやすく言えば「冗談」「嘘」「本気じゃない発言」で意思表示をすること。
民法93条に規定されとります
登記田が条文のポイントを整理した。
【原則】有効(民法93条1項本文)
画地が驚いた。
冗談なのに!?
宗一郎さんが「1,000万で売る」と言うた。
杉山さんはそれを信じて「買います」と答えた。
ここで「実は冗談でした」と簡単にひっくり返せたら、杉山さんの立場はどうなる?
杉山くんの立場からすれば、「売る」と言われたら信用するのが普通だよねえ…
だから民法は言葉を信じた側を守りますんや。これが原則です
【例外】無効になる場合(民法93条1項ただし書)
例外①:相手方が表意者の真意でないことを知っていた場合(悪意) → 無効
例外②:相手方が表意者の真意でないことを知ることができた場合(善意有過失) → 無効
この場合、意思表示は無効になります
杉山さんが「酒の席で酔っ払いながら言ってるんだから、冗談に決まっとるやろ」と普通なら気づけたはずなら、それは善意有過失。
この場合も無効です
「ありがとう、前から欲しかったんだ」って
でも酒の席でのことだからねえ…
もし酒の席で、お互いべろべろに酔っぱらってる中での発言やったら、普通の人なら「これは冗談だろう」と気づくはずです。
その場合は善意有過失として無効になる余地があります。
最終的には具体的な状況から判断することになります
【第三者との関係】善意の第三者は保護される(民法93条2項)
もしその杉山さんが、その土地をさらに別の人に売ってしまっていたらどうなるか、いう話や
そんなことがあるのかい?
たとえばこういうケースを考えてみてください
登記田がホワイトボードに図を描いた。
杉山さんは冗談だと知っていた(悪意)。
だから宗一郎さんと杉山さんの間の契約は無効です。
ここまではさっきの話ですね
田中さんは宗一郎さんと杉山さんの間の事情――
つまり冗談だったことをまったく知らない。
この田中さんが善意の第三者や
画地が固唾を飲んだ。
心裡留保による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない(民法93条2項)
何も知らずに正当な取引をした第三者を保護するのが民法の考え方なんです。
だからこそ、冗談であっても軽はずみな発言は危険いうことですわ
こむぎちゃんが口を開いた。
もう絶対冗談は言えないです!
杉山さんが冗談だとわかっていれば無効やし、田中さんみたいな善意の第三者がいなければ無効を主張できる場面もある。
大事なのは相手方がどう認識していたかと第三者が善意かどうかの2点や
該当する例: 画地さんが冗談で杉山さんに土地を売却。杉山さんは冗談と知っていた(悪意)→ 無効。ただし善意の第三者・田中さんには無効を対抗できない
該当しない例: 画地さんが冗談で杉山さんに土地を売却。杉山さんは本気で信じていた(善意無過失)→ 原則通り有効。画地さんは「冗談だった」と主張できない
事件の結論|画地さんの冗談は有効?無効?
登記田はホワイトボードに整理した。
ケース①:杉山さんが本気で信じていた(善意かつ無過失)場合 → 原則通り有効。宗一郎さんは「冗談だった」と主張できない。
ケース②:杉山さんが冗談だと知っていた(悪意)場合 → 無効。ただし、杉山さんがその土地を善意の第三者に転売していたら、その第三者には無効を対抗できない。
ケース③:杉山さんが少し注意すれば冗談だとわかったはず(善意有過失)の場合 → 無効。酒の席で酔った勢いの発言を、普通の人なら本気にしないような状況であれば、善意有過失として無効になりうる。
相手が本気にしていたなら、きちんと話し合う必要があります。
場合によっては合意のうえで契約を解消するか、条件を見直すか。
いずれにせよ、早めの対応が大事です
画地が大きく頷いた。
まずは杉山くんに連絡して、ちゃんと話し合ってみるよ
冗談のつもりでも、相手が信じて行動してしまったら、取り返しがつかんこともありますので。「言葉には責任がある」いうのは、法律の世界でも同じですわ
ありがとう
画地が立ち上がった。
お茶、美味しかったよ
杉山さんとうまくいくといいですね!
また何かあったら来るよ
画地が事務所を出て行った後、登記田はコーヒーを飲みながら言った。
でも冗談が有効になるのはちょっと怖いです…
意思表示の問題は冗談だけやないで。
世の中にはもっとタチの悪いケースもある
そのときにまた教えたるわ
試験のひっかけメモ
ひっかけ①「契約は書面がなければ成立しない」 → 誤り。民法上、契約は当事者の意思表示の合致で成立する(諾成契約の原則)。口約束でも契約は成立する。
ひっかけ②「心裡留保による意思表示は常に無効である」 → 誤り。心裡留保は原則有効。相手方が悪意または善意有過失の場合にのみ無効になる。
ひっかけ③「心裡留保が無効となるのは、相手方が悪意の場合のみ」 → 誤り。悪意(知っていた)だけでなく、善意有過失(知ることができた)の場合も無効になる(民法93条1項ただし書)。
ひっかけ④「心裡留保による無効は、誰に対しても主張できる」 → 誤り。心裡留保による無効は、善意の第三者に対抗することができない(民法93条2項)。
ひっかけ⑤「民法の『善意』とは、善良な心を持っていることを意味する」 → 誤り。民法における「善意」はある事実を知らないことを意味する。日常用語の「善意」とはまったく異なる法律用語。
締め:こむぎちゃんの1行まとめ
ほなこむぎちゃん、今日の教訓を一言でまとめてみ
こむぎちゃんが胸を張った。
今日の教訓は――
冗談は絶対に言っちゃダメ!
だから私も友達に「推しグッズ全部あげる」って言ったのは撤回します!
民法93条により無効!
それに、心裡留保は原則有効やて説明したやろ!
友達が本気にしてたら有効のままや!
いいか、契約は申込みと承諾の合致で成立!
口約束でも有効!
心裡留保は原則有効、相手が悪意or善意有過失なら無効!
無効でも善意の第三者には対抗できない!
善意=知らない、悪意=知っている!
推しグッズは自分で友達に謝ってきなさい!
友達はもう段ボール持って帰っちゃったんですけど…
今回のまとめ
【契約の成立】
- 契約は申込みと承諾(意思表示の合致)によって成立する
- 書面がなくても口約束でも契約は成立する(諾成契約の原則)
- 契約自由の原則:締結の自由、相手方選択の自由、内容の自由、方式の自由
- ただし、公序良俗に反する契約(民法90条)や強行規定に反する契約は無効
【意思表示とは】
- 効果意思(内心の意思)→ 表示意思(伝えようとする意思)→ 表示行為(実際に伝える行為)の3ステップ
- 意思表示に問題があると、契約が無効になったり取り消されたりする
- 冗談のほかにも、通謀虚偽表示、詐欺・強迫、錯誤など意思表示の問題は複数ある
【心裡留保(民法93条)】
- 心裡留保=表意者が真意ではないことを知りながら行う意思表示(冗談・嘘)
- 原則:有効(相手方を保護するため)
- 例外:無効 ── 相手方が悪意(真意でないことを知っていた)または善意有過失(知ることができた)の場合
- 第三者保護:心裡留保による無効は、善意の第三者に対抗できない(民法93条2項)
【善意・悪意の定義(民法の基本用語)】
- 善意 = ある事実を知らないこと(日常用語の「良い心」ではない)
- 悪意 = ある事実を知っていること(日常用語の「悪い心」ではない)
- 善意有過失 = 知らなかったが、注意すれば知ることができた
- 善意無過失 = 知らなかったし、注意しても知ることができなかった